トルデジアンにいってきたよ〈レース編〉episode2〜did not finish≪高瀬治夫≫

2024 TOR330 report ~episode2 DNF: 旅はまだ続くよ

DNF後にロスバゲとなり、Courmayeur帰還ではなくてLB5-Valtournencheに行ってしまったMyデポバッグ。皮肉にも主より先にTORを完走した。来年のお守りにしようかな。

◇『プロローグ準備編はこちら  

◇『〈レース編〉episode1~レーススタート』 はこちら 

episode1冒頭部分の再掲示です

TORは6つのライフベース(LB)があり、それによって区切られた7つの区間でよく話が整理されます。ここでは各区間を“セクション”として、便宜的に1~7のセクションとして書いています。一般的には偶数セクションが厳しいというのが通説です。

本稿はセクション3〜4(の途中まで、クドイですが今回5~7は登場しません(T_T))

セクション1234567合計
距離:km48.5555.4545.7754.2333.6248.0449.66335.32
D+ :m4,3394,9432,7685,9333,0944,6253,90629,608
D- :m3,8775,0983,9814,8812,9664,7464,05929,608
平均斜度8.94%8.91%6.05%10.94%9.2%9.63%7.87%8.83%
IN関門 :h19426285105127150
OUT関門 :h21446487107129
区間予想 :h15211424132218147
LB滞在 :h344243
IN累計 :h15395785100126147
OUT累計 :h18436187104129

もくじ

  1. セクション3 Cogne⇒Donnas
  2. LB3 Donnas
  3. セクション4 Donnas⇒Gressoney(DNF...)
  4. 夢のあと
  5. 番外編

補足:完走していない割に、結構なボリュームになっているのでご注意ください。トルデジアンのレースレポートである一方で、「極度の睡眠負債が人体に及ぼす影響」についての人体実験レポートでもあります。

また、特に本稿は自分が次回挑戦時に教訓として思い出せる様な私個人の備忘的な内容が殆どとなってしまいました。重ねてご容赦ください。

1. セクション3 Cogne ⇒ Donnas

登りは地味なボス1つだけ。皆さんはボーナスセクションとの位置づけ。
でも本当のボスはDonasまでの約30kmも続く下りだろう。 爪のダメージが甚大な自分にとっては拷問。

45.77km D+2,768m D- 3,981m  予想14時間

セクション3のボス

  •  Finestra Di Champorcher 2,826m D+1,712
  •  Finestra Di Champorcher 2,826m ~ Donnas 322m 29.47m D-3,559

Finestra Di Champorcher

明け方にウエダさんとLB2cogneを出発。トレイルに入るまでのロードが結構長い。

トレイル入り口では既に明るくなっていた。比較的元気だ。この日は天気が良さそうで、暑がりのおじさんには既に暑く、登り始めて早々にレイン下を脱いだ。体調は悪くないのだが、どうにもいきなり眠い。でもまだ行動し始めて時間も経っていないから押し通す。

すぐにエイド(Goilles Dessous?)と思われる小屋に到着するが人の気配は無い。「H2O Free」と看板だけ。はたしてエイドだったのだろうか謎。

因みに後で気が付くが、このあとはセクション3の22km地点のDondena小屋までエイドは無い。でもDonnasで給水してくればここで水を足す必要は無い。しかもペットボトルではなくて、いわゆるコチラの水道水のような感じで微妙。このあとのコトを考えると、天候次第ではDonnasで多めに水を持って出る必要もあるかも。次回は水切れにも要注意だと後から思った次第。

途中でトレランお馴染みのカウベルの音がガンガン聞こえてきた。「ああ、応援の人がいるんだ」などと思ったが、どこにも居ない。なんてことはない、カウベルが本来の用途で利用されているだけだった。家畜の牛が普通に食事をしていただけだ。延々と食事をする牛の首にカウベルを付けていれば、あんな大音量で延々と鳴り続けるのだと妙に感心。 

黙々と進んだが、暖かい日差しの中、緩やかな登りが続きどうにも眠い。やはり寝たいので小屋があったら寝るとウエダさんに伝える。結構登ったところで立派な小屋が見えてきた。Sogno小屋だと思うが、営業しておらず誰も居ない(確かにオフィシャルタイムテーブルでもここはSimple waypoint)。それでも寝られそうな場所があるので10分だけでも目を閉じて休むことにした。ウエダさんには申し訳ないが先に行ってももらう。

結局は眠れなかったのだが、日陰で座って目を閉じるだけでも少しはマシになる。本当の山小屋のベッドを目指すこととした。

昨日まで順調に現れた朝一番の元気ローテーションもいつの間にか来てくれなくなっていた。どんなに元気でも眠気には勝てないのだ。

ひたすらつづら折りを登り、そうこうしている間に、セクション3唯一のコル(だと思う)Champorcherを越える。振り返れば絶景だ。これまでの絶景続きで脳も無反応だったが流石にこの景色には感動。(⁠♡⁠ω⁠♡⁠ ⁠)⁠ ⁠~⁠♪遠くに見える雪山がグランパラディッソだろう(多分、間違ってたらご指摘下さい)。

Dondena小屋

ここからLB3Donnasまでの約30kmはひたすら下りだ。下りになると途端に小指親指の爪の具合が宜しくないので、ダメージをなるべく受けない歩き方を模索しながらの小走り進行となる。この辺りからやたらと建物が多くなるが、どれも山小屋ではない。やっとDel Misérin小屋に到着し、「寝たい!」とお願いするが、「この小屋はエイドではないので寝ることは出来ない」とのこと(確かにタイムテーブルで確認したら Simple waypoint なり)。エイドは4km先のDondena小屋だと丁寧に教えてくれた。有料で食事や水分の補給も可能だったが、そこまで逼迫していなかったので、寝床を求めて先に行くことにした。

出発しようとしていたら、ツアー仲間のオオムラさんと遭遇。ここはエイドではなく、4km先の小屋がエイドらしいと説明し、しばし行動をともにする。

確かに4kmほどでDondena小屋に到着。眠さも限界にきており、この小屋で寝させてもらう。ホントは2時間お願いしたかったが、制限時間が怪しくなって来ているので、1時間だけベッドを借りた。元気なオオムラさんには先に行って頂く。

かなり大きな山小屋でベッドルームがいくつもあり、自分が案内されたのは2段ベッドが8台置かれた、トイレ付きの部屋。利用者は半分程度だったと思う。豪快ないびきをかいている人も居なくて静寂そのものだった。

久しぶりに、というかこのレースで初めて眠れた。多分30分位だと思うが間違いなく寝た感覚があった。時間の怪しさも手伝って、1時間だけにしたが2時間にしておけば良かったと今(執筆時)では後悔。その瞬間に判断するのは難しかったと思うが、睡眠負債の返済を優先したほうが、その後の山行でのロスが格段に少なくなり、結果として先に進める確率が高まったはずだ、と今では思う。

下りのボス

世話になった山小屋を出発して先を急ぐ。約30km続く下りのボスも残り24kmだ。

頭がぼうっとしてもう少し寝たかった。出発直後、真昼間の見晴らしいい場所なのにいきなりのロストするくらいだ。ハイカーさんが追いかけてきて違うと教えてくれた。何て親切な方。 〔①注意力低下⇒コースロスト 〕

しばらくは風光明媚なアルプスの絶景を拝みながらの緩やかな下りだが、ほどなく樹林帯に突入。樹林帯に入った途端に、普段世話になっている高尾や奥多摩と何ら変らない雰囲気のトレイルに変身。やはり景色がないと樹林帯はどこも似たような感じなんだと思った。木の根っこもそれなりにあり、木段ならぬ石段だけど。

樹林帯を抜けて振り返ると、降りるときには気が付かなかったが、石段が遺跡風の様相である。これもローマ街道の名残だったりするのだろうか。

町に出て、写真を撮って石段に座り、シューズのひもを調整して再出発。次のエイドは近いはずと、そそくさレストランの軒先を失敬するような町中のコースを進むとガーミンが警告を鳴らす。まただ。スマホの接続が切れたとブーブー言っている。スマホがない....はて...ああ、さっきの石段に置き忘れたに違いない。慌てて引き返して無事スマホ回収に成功。「やべぇやべぇ、またやっちった」とか思いながら、今回2回目のスマホ置忘れの事実をあまり深刻に受け止めていなかった。 〔①注意力低下⇒忘れ物

Chardonneyエイドの前後ではもうランナーはまばら状態。否応なしに制限時間を気にしないといけないポジションにいることが感覚的にわかってきた。先を急ごう。

なだらかな下りが続く。目の前の林道を横に遮るテープが目に入り、道の右端にはマーキングフラッグが見える。何のためらいもなく遮るテープを跨いで直進するおじさん。無心で進むがマーキングがなくなって気が付く。GPXデータを見て、ようやく先程のテープを右折することを理解。現場に戻れば誰が見ても分かる、右折を促す丁寧な分岐点であり、ここを躊躇なく直進出来る自分に我ながら驚く。脳のバグりはそう簡単には修正が効かない雰囲気だ 〔①注意力低下⇒コースロスト〕 〔⑤脳の誤作動

このテープまで戻ったところでツアー仲間のクスモトさんの奥さん に遭遇。クスモトさんは今回ご夫婦で参加されている強者。ペースが違うので夫々のペースで進んでいるとのこと。セクション2の入りでご主人と一緒させて頂いたが、もう大分先を行かれているのだろう。それにしても恥ずかしいところを目撃された。

クスモトさんも自分と同じ小屋で少し寝たらしい。この後、LB3-Donnasまでの下り道、会話をしながらご一緒させて頂いた。途中、暗くなってしまったがローマ街道の有名な遺跡のトンネルや、ナポレオンの進軍を喰い止めたバール要塞のライトアップを横目にLB3へと急ぐ。

このLB3は約30km下ってきたDonnasの市街地を通り越し、かなり外れた場所にある。そのため初挑戦のランナーは“いったいどこにあるのか”と途方に暮れるLBらしい。今回ルクタスの久保さんの案内で、往路の空港からの道中で下見をしてイメージをもっていたため狼狽えずにすんだ。クスモトさんとずっと会話をしていたこともいろんな意味で助かった。

そんなこんなでLB3-Donnasにようやく到着。

追記:約30kmの下りの感想。睡眠負債と爪痛のため、グダグダの状態だったが、景色や雰囲気が良い、途中にエイドが3か所ある、ことから結構な気分転換になり、次回は快適に行けそうな気がする。また、このセクションでレース初めてのお天気となり、途端に空気が想像を超えるレベルで乾燥していた。結果として口腔内、特に喉と鼻の奥に違和感が発生し始める。たったの一日で。アドバイスでビタミン剤を大量摂取してはいたものの、中々の威力だと思います。乾燥すると牛糞なども空気に舞ってしまい、必然的にそれを吸い込むので一気にやられるようです(牛糞だけならいいけど...)。唾液をだすためのあめも大量に持ち込んでました。



セクション3の結果

オフィシャル45.77km
(150km)
D+2,768
(D+12050)
D-3,981
(D-12956)
自分予想 14時間予想累積 57時間
手元計測50.33km ↑
(169km)
D+1,933 ↓
(D+10291)
D-3,151 ↓
(D-11188)
15時間11分 
※小屋ベッド1時間含む
累積 57時間06分 順調
カッコ内は累積

Dは+-ともに誤差が更に激しくなる。D+は3割以上、D-は2割以上の誤差...主の頭がバクっていたので、ガーミンのバグりもエスカレートしてゆく。

山小屋でベッドを1時間借りたのを含めて、累積時間で概ね予定どおりではある。



2. LB3 Donnas

凄くキレイ、でも関門時間ほど近く人影もまばら

サポートの森さん、山元さんに出迎えて頂く。ここには願わくば明るいうちに到着したいと思っていたが、仕方ない。21時過ぎだったと思う。殆どのツアー仲間は既に到着済の様子。

出来ればここで睡眠負債を少しでも返済しておきたいので、次のセクションの関門が気にはなるが、予定どおり4時間滞在するとして01:00出発をイメージ。

ここは地元の公民館的な施設だろうか。非常に立派である。デポバッグの受け渡しや食事、マッサージサービスがあるメイン会場はとても広くて明るく綺麗。二階がベッドルームになっているとのことで、まずは場所取りのためデポバッグを持って直行すると。『なんだここは...』超暑がりの自分には耐えられない暑さである。ダメだこんな場所には居られない...とベッドは速攻で断念。(スペース的にもあまりなく、そもそも空きベッドは無かった。ここはコットでなくスプリングベッドのように見えた)

荷物を食事スペースの椅子に置いて、ルクタスサポートエリアで頭を冷やそう。Donnasは暑くて寝られないは聞いていたが、ベッドルームがあんなに暑いのは情報として違うはず。標高がレース中最も低い300m程度なので日中の気温が高いという話だったような。

ここでサポートの森さんから「車で寝られますよっ」と。移動で使用しているデカいバンの3列の座席を利用して3人まで寝れると。一人起きてくるから交代で案内してくれるとのことだ。神だ。

早速簡単な身支度をしてビールを一杯だけ飲み、バンの3列目に収まった。これまでの自分の睡眠へのアプローチ状況から、寝るとなると眠れるのか心配になってしまう。案の定眠れません。横になっていざ、となると眠れないの繰返し。こんなに寝ていなくて眠いのに眠れないとなると、もう何が何だか...。一生懸命目を閉じて時間だけが過ぎてゆく。(決してビールのせいではないはず)

横になっただけでも大分疲れは癒えるものだ。1時間ほど横になっただけでサポートエリアへ戻った。早めに出発して小屋で寝ることにしよう。セクション4は小屋もそこそこ多いはずだ。

スマホをまたしても置き忘れた話をしたら、森さんがまた真顔で心配する。そのあと、忘れ物がないように声出し確認を励行してくれた。申し訳ない。

たいそう食欲はあったので、ピザ数枚、カレー、お茶漬け等々随分と補給ができた。前のセクションの前半まで一緒だったウエダさんが0:00頃に出発するから一緒に行こうと言ってくれているらしい。間に合えばお願いしますと山元さんに伝言し、LB2で預けた洗濯物を頂いて(凄いサービス)荷物整理に向かう。

シャワーはパスして、着替えだけして、トイレを済まし、コンタクトレンズを入れ替えて、荷物の場所に戻って整理をして出発準備だ!

荷物を片付けていると眠くなってくる、如何せん無駄に荷物が多い。整理というよりはバッグにどうやって格納するかの格闘だ。バッグから出す度に状況は悪くなりバッグ内はぐちゃぐちゃ。出したはいいが入らなくなる。入ったら今度は何がどこにあるのか...気が付いたら1時間位たったいて驚く。サポートエリアに戻ったら0:30だった...ウエダさんは私が来そうもないないので先に行かれたようだ。ホントに申し訳ないです。(この後、ウエダさんにお会いすることはなかったが見事完走された。)

丁度オオムラさんが出発するタイミングだったのでご一緒させてもらうことにした。

LB滞在時間03:45 睡眠時間0分(バンのシートに1時間) 累積睡眠30分

3. セクション4 Donnas ⇒ Gressoney(DNF...)

54.23km D+5,933m D- 4,881m  予想24時間

セクション4のボス

  • これといったボスは不在だが、TORとしては珍しく2000m~2300mあたりを行ったり来たりする非常にイヤらしい区間。一方で有名な小屋でのステーキや、後半エイドのバーベキュー等の楽しみもある。(但し、そういうのは遅いと大体終わってる)

魔のセクション4

ホント「魔」に尽きる…

これまでギリギリ繋ぎ留めてきたものが一気に崩壊したセクション。途中からかなり記憶が怪しく、一部妄想が入っている可能性が高いのでご容赦願いたい。

深夜1時頃に出発し、市街地郊外をオオムラさんと進んだ。ポンサンマルタンの石橋は下見で来た場所なので距離感は把握していた場所。ここから延々と階段地獄が始まる。市街地近郊の山をグルグル回らされる感じがあり、山の取り付けだから斜度がきつく、正直だるい。階段上ってロードを渡って、また階段を上ってロードを渡るを何度も繰り返した。街の景色を見て欲しかったのだろうと推察。深夜でもあり「ここ要らんなぁ」とブツブツ言いながら黙々と進む。

で突然のエイドPerlozが出現。LBを出発して間もなかったが、階段地獄で相当汗をかいたので水分だけ補給する。が、パンナコッタが置いてあるのが目に入り有難く頂戴。本場モノは旨い。

標高322mのLB3から当面の目的地Coda小屋2252mまではアップダウンを重ねて標高を上げていくルートであり、D+2764にもなる。

絶望的な睡眠負債を抱えての深夜の登山は破壊力抜群だ。どうにも体がいうことを聞いてくれずゾンビまっしぐらの予感。オオムラさんの登りの安定した足取りについてゆくのは非現実的と悟り先に行ってもらう。自分のほうは予定通りゾンビへと落ちてゆく...(この後、オオムラさんともお会いすることはなかったが、オオムラさんも見事に完走された。)

Coda小屋

前後にライトの気配がない時間帯が続き、眠気覚ましにGUのグミを噛み、YouTubeMusicを大音量で掛けながらひたすら登り続けたが、効果があったのか全く覚えていない。途中の廃屋を覗くと潜り込んで寝ている人もいる。自分も寝ようかと思ったがCoda小屋まで頑張って小屋のベッドで寝たいと前に進むことにした。

Coda小屋のはるか手前で空が明るくなり始め、生気を取り戻す。朝日に映える山並みの美しさで一瞬だが元気になった。それにしてもここまでの登りは諸要件が重なり、最も苦痛な登りであった。

Coda小屋は有名な山小屋で、TORの丁度中間地点(167.31km)に位置している。レース中はステーキが振る舞われると聞いていた個人的には楽しみにしていた場所。そのCoda小屋にようやく到着するが、時計を見るともう9時を回っており正直驚いた。17.5km、D+2764とはいえ8時間以上も費やすとは流石に時間が掛かり過ぎ...だけど途中で寝ようにも恐らく眠れなかっただろうから仕方ない。

Coda小屋で寝るのを楽しみにしていたので、さあ寝かせて頂こう!

でも何か様子がおかしい。エイドとしてテントが小屋の外に設営されており、小屋の中に入れさせてもらえない。スタッフに「寝たい」と聞いても「無理」との反応!?どうやら小屋としての営業をしていないようだ(と理解、それとも営業時間外でこの後オープンするのか別として..)。扉が開け放たれていてベッドルームが覗けたが、利用者は当然誰もなく、キレイにマットレスや布団が片付けられた骨格だけのベッドしか並んでいなかった。

「ああ、Coda小屋では何人たりとも寝られないのか」と現実を受け止め諦めるしかなかった。ただでさえ弱っているところへの精神的ダメージは計り知れない(弱り目に祟り目ってこういうこういうことね)。

この後は正直よくわからない朧げな世界が繰り広げられるだけとなるのだ。

Barma小屋

Barma小屋まではそれでもまだ記憶はある。でも気が付くとマーキングのフラッグとか全然気にせず、自分が行きたいところに勝手に進んでしまいロストを重ねる。その都度我に返り、ガーミンでGPXデータを確認しながらコース復帰を遂げて進む。

Barma小屋までは岩稜帯と樹林帯の間を行ったり来たりしながら、同じような景色を延々と上り下りしながら進む、おかしくなった頭に更に追い打ちをかけるような、本当に意地悪な区間で滅入る。

迷路に紛れ込んだような感覚でいたが、暫くするとBarma小屋の案内看板が登場。正直ホッとしたが、これが曲もの。案内後も一向に小屋の気配は感じられず、延々と岩稜帯を上り下りしながら、そしてロストも忘れない。今思うと半ばパニック状態に近かったと思うが、やっと遠くに小屋影が見えてきた。実物か幻覚か怪しかったが、近づいても無くならない、紛れもない実物のBarma小屋だ。

Coda-Barma間8.5km、D+700、D-900に約4時間。(この区間も次回は何とかしないと)

到着して時計を見ると13時過ぎ。関門が15時だから2時間弱の余裕しかない。予定よりも大分遅れている(あれだけロストすれは当たり前)。この小屋は寝られたのだろうが、スタッフも「この小屋は15時にクローズだ」ともう店仕舞いの様相である。少しの間テーブルに突っ伏して先に進むしかない。

ゲームオーバー

この先は本当にあまり覚えていないから書くことがない。

何をしていたのかはっきりしないが、傍目には引続きロストを繰り返して時間を浪費しながら、時々我に返りコースに復帰し、ノロノロと進んだと整理できる。考えにくい時間経過を辿りながら次の関門Nielに制限時間21時31分を遙かに越えて到着した。流石にNiel到着前には関門に間に合わないと分かっていたので、余計投げやりにダラダラ適当に進んだと思う。最後はスイーパーや同じく関門Outのランナーと一緒だったはず。人と一緒だったので安心して何も考えていなかったが、ゲームオーバーだと理解してから、足の爪の痛みが急に耐え難くなった。

この時の自分の受け止め方としては、"訳が分からないままTOR初挑戦が突然ゲームオーバーに"なったという感じ。

最後の5時間位が一番記憶がない謎の時間帯。それまでは見落としがちだったマーキングフラッグだが、この時間帯は全く信用せずに"コレは罠"だと決めつけていた。これまでも度々あったが、「こんな場所本当にコースなのか?」というような場所が相応にあり、「こんな場所コースな訳ない、このフラッグは誰かが悪戯で置いたに違いない」と謎の解釈が始る。最終的には、ダミーのフラッグを見破って本当のコースを見つける新しいゲームをやっていたような気がする。

また、朧げだが勝手に妄想でルールを作って、その通りにレースが進行しない(当たり前)からイライラしていたような記憶もある…。この謎のルールはDNF後にホテルに戻ってからも暫くは頭に残ったままで、最終的に自分の妄想だったと気が付くまでにそれなりの時間が必要だった。

4.夢のあと

まずは後始末

LB4-Gressoneyまでは10km以上あり、バスで送ってもらえた。 Gressoney は立派な体育館でこれまでのLBで最も充実しているように見えた。TOR130のスタート地点でもある。

取り急ぎルクタスサポートエリアに赴き、ここでも森さんに大変お世話になった。訳の分からない話を沢山したと思われる。本当に申し訳ございません。

DNFの手続きをして、 Courmayeurまでの バスを予約して、時間があれば食事をして、ユックリ休んでと色々とご指示頂きました。バスの予約まで順調の終え、デポを預かり腹ごしらえ。食事は通常のLB提供物以外に手書メニューが置いてあり、頼めば食べたいモノを用意してくれる雰囲気だった。終わってしまったので心置きなく生ビールを頂いた。まさにやけ酒だ。

因みにDNFの手続きでは「本当にいいのか?、本当に間違いないのか?」と何度も何度も聞かれた。いろんなものをハサミで切られた。リストバンドに、ザックにつけたタグ、ゼッケンの角の一部...かな。そしてこのゼッケンだが、あとでどこを探しても見つからない。ゼッケンベルトごとLB4に忘れてきたと思われる。来年帰ってこいというお達しだと、都合のいいように考える。

そんな呑気なバス待ち中にビールを呑むおじさんだが、ルクタスの久保さんと森さんはツアー参加者の私のDNF後が心配(それはそうだ)で、色々とメッセージを送ってくれていた。そんな心配をかけていることなどつゆ知らず、当の私は全くスマホなど見向きもせず、多分2杯目の生ビールを頂いていた。後から気が付く次第で、大変心配おかけしました。フラフラLBの入り口方面に歩いている私を見つけた森さんのホッとした表情が忘れられない。

Courmayeur 行DNF者送還バス

森さんがバスが来ていることを教えてくれ、荷物を運ぶことにした。大会デポバッグを重そうに持っていたらスタッフの方が運んでくれるとのこと。行先は Courmayeur で間違いないかと何度も確認しお預けする。残りは自分でバスへ運ぶが、森さんが持ってくれるとのこと。そんな華奢な女性にこんな重い荷物は持たせられんだろとは思ったけど、(仕事だからだろう)結構頑として譲らないためツアードロップだけ持っていただくことにした。ありがとうございました。

当のバスのカーゴスペース前で森さんから「いいですか、ここにバッグとポールを置いて、到着したら必ず受け取って持って帰ってくだいさいね」と幼稚園児を諭すような口調で何度も念押しをされる。どんなにヤバい状態に思えたのだろうか今度聞いてみたい。

バスは大型観光バスで乗客(DNF者)は満員。 Gressoney は Courmayeur のコース的に対角線にあり最も遠いLBである。

バスは出発し、3秒で Courmayeur に到着。極度の睡眠不足の影響で夢を見ているのかと思ったが現実だった。極度の睡眠不足の中、レースの緊張感がなくなった途端に久しぶりに熟睡したのでした。

寝ぼけて荷物を忘れたら森さんに申し訳ないので、自分で置いた荷物を回収し、大会デポバッグを探すがコイツが見つからない。あれだけ行先を確認したのに、どうやらここに来てロストバゲッジだ。同じバスの同乗者で同様にデポバッグがない方が4名いた。全員日本人だった。この状況から言えることは...ただの偶然か。(そもそもあそこでDNFになった日本人参加者が、同じように大会デポバッグがロストになる確率ってどれくらいあるのだろう、とどうでもいいことをその後も考えている。)

このデポバッグは次のLBで久保さんに回収していただき、後日手元に戻ってきました。

ゴール&表彰式

レース最終日、ゴール関門が近づく頃だが居ても立っても居られない感じで、ゴール地点でツアー仲間のゴールを見に行った。丁度ルクタスの久保さんが待ち構えるところに、ジンノさん、フクハラさん、道中一瞬だが行動をともにさせてもらったウエダさん、オオムラさんの4名がほぼ同じタイミングでゴールする場面を見ることができた。日本人ランナーが続いてゴールしたからだろうか、主催者の計らいでサプライズの君が代が流された。

自分が進めなかった後半パートは天候が崩れ、過去最悪といっていいほどの過酷なコンディションだったらしい。それを乗り越えて完走された皆さんはあまりにも眩く、色々と思うところが多くなる。来年また出場して、今度こそ完走したいと改めて強く思った瞬間。完走した皆さんはホントに尊敬しかない。

今回、日本人の完走率は19/54とのことで約35%強(私も完走率低下に貢献…)。レース全体では50%弱だったようで、今回日本人は苦戦。完走者19名のうち7名がルクタスさんのツアー参加者だった。皆さんの実力あってのものだが異国でのサポート効果も計り知れなくて偉大だ。次回参加時もお願いしたいと思う。

レース終了翌日は有名な表彰式が催される。完走者全員の名前が呼ばれて壇にあがり主催者と握手するのだ。かなりの長時間だが、ものすごく良い雰囲気で盛り上がるらしい。と、人伝の書きぶりとなるのだが、私はというと悔しいのもあり、完走してからの楽しみにとっておきたいというのもあり、この表彰式の見学は見送って、アオスタ観光に逃げた。皆さん薄情でゴメンナサイ。

久保さん撮影〜の君が代が流れた

普通のおじさんがTORに挑戦してみて

普通のおじさんの挑戦は無謀だったか

完走は出来なかったが、見たことない絶景に囲まれ、本当に貴重な経験が出来て心底楽しかった。楽しかったということ、コレだけで十分ではないだろうか。これで完走が伴えば"達成感"という別次元のご褒美がらえるのだろうが、別にチャンスは今回だけではない。また挑戦する理由にもなる。人生一度きりで後悔したくなければやってみたらいい、と終わった後で更に強く思う。「いつか出てみたい」と少しでも思うのならばすぐに出たらいい。特に50代半ば過ぎともなれば老化に抗う必要もあり早いにこしたことはない。

体力的にも十分いける

よく言われるが、100mileと200mileのレースは全く異なり、 100mileの延長戦上に200mile がある訳ではないというのは、全くその通りだと思える(完走してないけど)。だいたい50km毎に大休憩をとる200 mile では、その都度脚がある程度回復するので 100mile のような疲労感にはならない。自分はDNF時、最終的に手元計測で200km以上にはなっていたけど、 100mile レース完走時の疲労感には程遠いダメージの少なさだった。(完走したらどうなのだろう...)

1回挑戦してみて、完走イメージが湧かないことはない。だから無謀だとは思わない。というか、こんな非日常的な体験などそう簡単にできるものではない。それだけで充分ありだ。

足りなかったもの

あくまでも個人的な感想だが、一番大事なものは状況に応じた柔軟な対応力。山力?山のマネジメント力?こんな雰囲気のもの。自分には足りていなかった。

走力はあるに越したことはないけど、一番ではない。もし圧倒的な走力があれば、マネジメント力の重要度は下がるかもしれないけど、普通のおじさんにとってはマネジメント力がダントツで重要だと思った。山の経験値みたいなものだ。山に行こう。

今回直面した問題

睡眠問題

それにしても自分でも呆れるほど眠れなかった。結局80時間以上も山を徘徊して眠れたのは多分30分だけ。眠れる環境に居なかった訳ではなく、ベッドに横になる機会は十分以上にあった。眠れなかったのは自分の問題であり、この問題は次回挑戦の最大の懸念事項だから最優先で何とかしないと。100mileはせいぜい丸2日程度だから寝なくても何とかなる。だけど200mileは眠れないことには話にならない、次回出ても勝算なしだ。

  • 山で寝る!?
  • ちょっとした隙間で10分程度寝る !?
  • 耳栓を必ず取り出せるような準備...

あまり思いつかないけど、いつでもどこでも眠れる技術( !? )の得とくに注力しよう。

また、柔軟性のない睡眠計画に固執することなく、眠くなったら寝ればいい位の心持ちでいたい。今回は「ここで○分寝る」と事前に決め過ぎて、首を絞めた気がする。

注意力低下、判断力低下、記憶力低下、幻覚、妄想、奇行…分かっていてもコイツらと闘うのは容易ではない、闘わずに済むのが一番。答えは簡単だ。

爪問題

もう一つは足指の爪問題。下りの練習が疎かだった。これだけ下りっぱなしパートが多いと、下りを怠けていた自分はあっという間に足指の爪がダメージを受け、即死活問題に発展。下りも長いレースで、ヨチヨチ下っていたらタイムロスも半端ない。この爪問題も次回までに解消しないと。

帰国後にあしラボでヒントをもらって。早速、ホームコース(?)の奥多摩で試してきた。何となく分ったような、分っていないような...上りはトレミでカバーできるけど、下りは山に行くしかない訳で。これは歩きの矯正同様、地道な積み重ねだろうから頑張ろう。

幸い時間はまだある。

高所問題

一方で、高所順応面では気になる点は感じなかった。このレースはスタート直後から2500m~3000m前後まで何度も登らされる。そのあたりまで行けば体に力が入らなくなるのはいつものことだが、いわゆる高山病的な症状は幸い出なかったと思う。練習での高所順応が機能したのだろう。

その他

無事に帰国

その他無事に帰還できて良かった。やはり日常の生活があるので、そこを犠牲にするわけにはいかない。その点は国内だろうが、海外だろうがこの手のレースにおけるリスクは変わらない。

デポバッグの荷物

荷物が多すぎた。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の典型的な事案。今回の経験を活かして次回は必要最低限で纏めたい。勝手が分らず不安で万が一と思って、つい増え過ぎた。補給食はエイドで賄うことも踏まえて本当によく考えたい。今回のようにサポートを受けるのであれば尚のこと。とにかく「面倒くさい」自分と順応し、如何に折合いを付けながら進むことが出来るのか。非常に重要。また、大会デポバックが毎年同じサイズという訳ではないとのこと。過去にひと際小さいサイズの年もあったらしく、予めそのような事態でも対処できる程度の内容量が好ましい。

奇行

自分がレース中にしでかした数々の奇行が睡眠不足によるものだと信じたい。そうでなければ病院行だ。忘れ物と物忘れの多さは普段から気になるところだが、そこに睡眠不足が加わると症状が加速度的に悪化すると肝に銘じた。

計画 or 作戦

今回は事前に色々と計画を立てて臨んだが故に、計画に縛られてしまった感が強い(自分で自分の首を絞めたような)。次回は厳密な計画などはたてずに、状況に順応する準備をしておこう。無計画もあれだから作戦程度で十分。特に睡眠面では、上にも書いたが柔軟性のない睡眠計画に固執することなく、眠くなったら寝ればいい位の心持ちでいたい。

出会った動物たち

アイベックスには出合ったが、シャモアやマーモットには会えなかった。(但し、マーモットにはDNF後に意外な場所から見かけた)次回はシャモアとマーモットに会いたい。

オフィシャルのTOR2024ハイライト

私が知らない後半の過酷な環境の雰囲気はこちらで

今回は後半部分を体験出来なかった。沢山の忘れ物があるので、来年回収に来よう。

ご参考: TOR2025大会日程は、2025/9/12-21と発表済。TOR330は9月14日(日)〜20日(土)だ。週末が2回と祝日が2日もあるので、休暇はたったの6日で済みそう。もう会社には休むと言っているので憂い無し。マイカレンダーの2025/9/12(金)〜23(火祝)は抑えた。

カレンダーの都合で、TOR開催日程としては最も後ろ倒しの日程になる。確実に今年並みの荒天への備えが必要だろう。

5.番外編

イタリア語

次回参加までにイタリア語を多少は勉強しておこう。今回は現地の方と全くコミュニケーションが取れなかったのが残念。少しでもコミュニケーションが取れれば楽しさ倍増だろう。とにかくあの巻き舌が全く聞き取れない。

お互いカタコトの英語でも何とかならない訳ではないが、イタリア語でのコミュニケーションのほうが良いに決まっている。結構Google翻訳のお世話にもなった。ただしこいつは電波がないと役立たずなので注意が必要だ。

トイレ事情

これはもう文化の違いだから仕方ない。事前に理解して受け入れたうえで参加したい。

レース中にトイレがあるのは基本的にLBと山小屋のみ。既存建物を利用したエイドは別として、普通のテント設営のエイドには(仮設含め)トイレはない。この点は日本のトレランレースに慣れた人は注意が必要。街中は別として、基本的にしたくなったらその辺で済ますスタイル。男性だろうが女性だろうが、大だろうが小だろうが皆同じ。そういう文化だからあちらの方々は気にも留めない。実際にそのような状況に何度か遭遇してしまい、文化圏が違う自分としてはかなり焦る。

実際にトレイルを少し外れると牛のソレに混じって、ソレっぽい物が転がっていることがあるのでコイツには要注意だ。(幸い自分はトイレがない場所でもよおすことはなく経験はしなかった。)一方で小のほうはトイレを気にせず、いつでも好きな時にできるのでストレスフリーである。

男性は別として女性にとってはトイレ事情が参加の障壁になるかもしれない。(いや、トレイルランナーには要らぬ心配か)

擦れ問題

今回は初日からお尻のデリケートゾーンの擦れが発生してしまい、ずっと悩まされ続けた。経験がないわけではないが、こんな早い段階での発症は想定外。これまでの経験上、発生頻度は70km~80km以上行動すると半々の確率イメージ。TORは50km前後でLBがあるので、その都度予防ケアをすれば問題ない予定であったが、コトはそう単純ではなかった。原因は不明。

観光

DNF後は時間があったので観光にも行けた。また、今回はモンブラントンネル工事のため、空路がミラノINとなったため、ミラノ観光も少しだけ。

モンテビアンコskyway

最新の回転式ロープウェイであっという間にモンテビアンコ(モンブラン)の3500m位に到達。中々のお値段(€61)だがその価値はあるかと。ガスっていたら何も見えないので、天気の都合が大ありだが、たまたま晴れた日に登れて満足。ここでマーモットも見かけた。夏はバスセンターから無料バスがある。

アオスタ

アオスタ州の州都でバスで約1時間。古くはローマ時代のものを始めとした遺跡が多く、少し郊外に行くとお城だらけ。お城好きにはオススメだが、その場合はレンタカーが欲しい。

ミラノ

フライト時刻が遅かったため、空港に荷物を預けて半日ほど観光。ダヴィンチの最後の晩餐は半年程度先まで予約が埋まっており事前に諦めていた。仮にTOR当選直後にこちらの予約をすれば行けただろうが、そんなこと頭の片隅にもなし。次回参加時はモンブラントンネルを通ってジュネーブINだろうから、もう縁はないだろう。

以上で『〈レース編〉episode2~did not finish 』は終わりです。殆ど個人的な備忘録となり、超長文になってしまいましたが、お付き合い頂きありがとうございました。

この失敗話を読んでTORに興味を持った方がもしいれば、是非来年2/1にポチりましょう。まずは€10で人生観が変わるチャンスです!

この壮大な旅は『 episode3〜レース完走編(※)』 へと続きます…  

『episode3〜レース完走編』は2025/10頃以降の公開を予定しております(^.^)

まずは抽選突破するぞ!!

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